【読書】斎藤環『イルカと否定神学』
今年年頭から、斎藤環さんの『イルカと否定神学』(医学書院「ケアをひらく」シリーズ)を友人と一対一でオンラインでの読み合わせをしている。昨日(25/11/19)が12回めであった。この日は4部15章で構成されているうちの11章「「他者」の逆説」後半10ページを読んだ。まだ25%ほどを残しており、年内の読了は果たせそうにはない。
この本は、ことに日本で注目されている「オープンダイアローグ」という精神科臨床の手法についての本であるが、本のタイトルの「否定神学」とかこの「オープンダイアローグ」とか、ましてや「イルカ」のそれぞれについて説明が必要なところであるのに、私にはその責を果たせそうにはない。未だ理解と納得が足りていないのである。
フィンランドに端を発するこのオープンダイアローグは、統合失調症の当事者に絶大な効果を発揮したとして注目を浴びた。斎藤環さんは、ひきこもりやラカンの専門家として知られる臨床家で、日本におけるオープンダイアローグの紹介者の一人でもある。その斎藤さんが、数々のスマッシュヒットを飛ばしている医学書院の「ケアをひらく」シリーズの一冊として、現時点での集大成的な著作として刊行したのが、この『イルカと否定神学』であると私は理解している。
本の帯文には「「対話」の謎をひらく」とあり、全体として「なぜ『対話』が回復的効果を発揮するのか」についての解明に注意が向けられている。これについては、まだ「わかった」と得心はされていないと言わざるを得ない。昨日もそのことを主な話題とした。
およそ人類は、言葉を得てから「対話」ないし会話は延々と繰り返してきているはずだ。それなのに、なぜ近年になって難治とされている(というより完治はほぼ不可能)統合失調症に治療的な効果があったと指摘されているのか。長く精神科臨床にプロとして携わってきた斎藤さんとしては、何としても解明したいところであろう。
実は私には統合失調症と診断されている身内がある。最も病態が厳しかった時期に比べると「よくなっている」とはいえ、日常生活にはいささかの困難を残していると言うべきであろう。なので、このオープンダイアローグが適切に学べれば「福音」となる可能性が高いのである。そうした実際的な必要性からも、私はオープンダイアローグ関連のものも含めて、複数の臨床心理に関しての著作に接してきた。カウンセリングやら傾聴やら、非・薬物的な臨床法についても多少とはいえ学んできてもいる。そして今、オープンダイアローグに接してみて考えているのは、そもそも「回復」するとはどういうことか、また、「病む」とはどういうことかについてである。とりわけ、回復にあたって「対話」がなぜ効果を発揮するのかであって、その点では斎藤さんの関心と軌を一にしている。
繰り返すが、「対話」そのものは人々は繰り返し行ってきている(はずだ)。であれば、その対話にうちに「回復」に寄与した事例はいくらでもあるだろう。にも関わらず、なぜ近年になってオープンダイアローグとして、一種衝撃をもってその回復力が注目されるようになったのか。考えられるのは、対話には元々「回復」力が内在され、発揮もされていたが、そのことを専門家は見出すことができてこなかった。あるいは、無視していたということにはならないか。そこには、場合によっては病は専門家によって治療されるべきだという発想があるのかもしれない。非専門家も交えて行われる日常的な対話(の延長)が治療的効果を発揮するというのは、そうであれば「専門家」たちにとっては衝撃だったのであろう。
してみると、オープンダイアローグとは、専門家と非専門家、あるいはケア「するもの」と「されるもの」の非対称性を無化、あるいは脱構築するものであるかもしれない。しかし考えてみると、本来的にはそうした非対称性は存在してはいなかったのだろう。オープンダイアローグの衝撃とは、真摯な反省の別名なのかもしれない。あるいはこうも言えないか。つまり、「灯台下暗し」と。
(本稿おわり)
