いま読んでいる本①~信田さよ子『なぜ人は自分を責めてしまうのか』など
三鷹で開催されているリカバリーカレッジに参加し始めたこともあって、「リカバリー」についてはもちろん、「ケア」や「エンパワメント」といった概念、あるいは「思想」と言ってもいいかもしれないことに関心の軸足が移っているように思う。
発刊直後に入手して、一部を読んだものの6月以来放置していた信田さよ子著の『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(ちくま新書)を再び開いている。全5章のうち、2章までを読んでみたところである。
これを読むのに当たっては、小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』が呼び水となった格好だ。この二著を並行して読むのはいいことだと思っている。
例えば信田著には次のような一節がある。第2章「共依存を読みとく」(p.81)からの引用である。
「被害者権力」というものがあるんじゃないか。そして、弱者になるということは、そのことによって権力性を帯びてしまうことがあるんじゃないか。
この章は2020年10月14日のオンラインセミナー(原宿カウンセリングセンター)の文字起こしに加筆したものだという。
私は小川著や東畑開人『雨の日の心理学』などを読んで、無邪気にも「ケア」が十分に循環することは必要であり、かつ無条件によいことだと思っていた。しかし信田著に接して、そう単純なことではなさそうだなと考え始めている。
もちろん、信田著についてはまだ半分程度が未読のままだし、小川著についても同様である。この二著を併読しながら得たのは、より深く考えようとする方向にギアを入れられたとの感触であった。今後も多方面にわたって触手を伸ばしていきたいと思っている。
さて、こんなことを文字化してみようと考えついたのは、友人との語らいを通してのことである。その友人との対話では、読書を巡って、どうすると本の中身が身につくのかということが話題に上ったのだった。そこでの暫定的な結論めいたことを引いてみると、本で語られた言葉や概念は自分でも使ってみるとよいということであった。
それは、いつでも・どこでも・誰とでもできることではないだろう。しかし、相手や機会を捉えて行えば、よい練習、訓練になるのではなかろうか。その点で言うと、読書会という方法は、言葉や概念を身につける、あるいは身についたかどうかを確かめるという点において、理に適っているように思う。
(本稿おわり)
